1.KBPの現状と問題
今回の遭難事故で亡くなった平松 守君は、KBPのOB会のメンバーでもありました。
KBPは1977年5月に設立された慶應義塾大学の公認団体です。正式名称を慶應バックパッキングクラブといい、従来の山岳系のクラブに飽き足らなくなったメンバーのより自由で自発的な活動を母体としてスタートしたクラブです。その名前が示す通り、バックパッキングのためのクラブです。最近では、バックパッキングという言葉の意味も変容し、一般にはザックを背負って海外旅行することを指すようですが、KBPの目指してきたのは、「生活用具一式を背負って、自然の中で生活すること」と「単独行ないし小人数での活動をメインにする」ことです。クラブ全員で目指すフィールドがあるわけではなく、各自が自分の行きたい場所に、一番やりたい方法で係わろうという主旨のもとに活動してきました。
創立から20年以上が経過した今日では、OB(OG)も170人以上に達し、現役部員数も30人余りを数えるという規模としては学内でも有数のアウトドアクラブに発展しました。また、活動内容も、一般的な山登りから、雪山、ヤブ山、沢登り、山スキー、フリークライミング、島や海での活動と多彩になりました。
KBPはフィールド活動における義務といえるものが殆どないクラブです。これほど何もないクラブは他にないといえるほど、強制というものがない自由なクラブです。本来の活動とは関係のない、意味のない伝統やつまらない規律を極力排してきました。このことは、KBPの大きな長所であると同時に、ともすれば短所にもなってきました。つまり、自由な反面、クラブとしての一定のレベルを維持することが難しいということです。このことは、技術や経験の伝承という点で、悩みの種にもなっていました。特に近年の傾向として志向・力量の較差が目立ってきたことに対して、クラブとしての有効な回答は見出せないままでした。
平松君はそんなKBPの弱点をよく理解していたとからこそ、KBPでの活動を余り人の入らない沢やヤブのルートに見い出し、KBPでは達成が難しい困難な雪山のルートをアルペンフェライン、さらにOBになってからは、秀峰登高会に求めていったのだと思います。
KBPのOB会は創設以来親睦団体であり、山岳会ではありませんでした。これはなるべく多くのOB(OG)に参加してもらうオープンなサロン的な場という位置付けを取ってきたからです。
したがって、OBになってからもフィールドでの活動を継続して行く場合、KBPのOB会のプランというものはなく、たとえOB会のメンバー同士で出かけた場合でも個人プランという位置付けを取ってきました。
実際にプランの際に、計画書を作成しても、それは個人的にOB会のメンバーの誰かに在京連絡先を依頼するか、まったく個人的に家族のものに計画書を残して、フィールドに入るということが殆どでした。
OB会とはいっても、年々人数だけが増えつづけ、ごく一部のものがフィールドに入り続けるという状況が続いてきました。卒業後、社会人になれば誰しも学生時代ほどは、フィールドに入れなくなります。しかし、アウトドアとは、その時々の年齢、状況に応じて一生楽しめるものです。大学の4年間なんて入り口に過ぎないのです。
なのに、多くの人がフィールドから離れていってしまう。これは非常に残念なことに思えてなりません。このままではOB会として、先細りの状況が危惧されました。2年前に創立20周年記念パーティーが開かれ表向きは華やかな状態でしたが、事態は結構深刻であるといえました。
平松君もKBPのそんな状況にある種の苛立ちを感じていたOBの一人ではなかったか、と思います。彼がOB会の記念パーティーに寄せてくれた葉書に次のような言葉がありました。
「KBPのOB会が今回本格的に組織化されるとのことで、素晴らしいことだと思います。またとない機会ですので、是非、単なる仲良しグループにとどまらず、真に山を愛し、現役の山行の安全対策を考える、すばらしいOB会にして下さい。」
我々も何とか、多くの人がザックを担いでフィールドに出かけてくれるOB会であって欲しい、そう願う反面、OB会の性格自体を根本的に変えてしまうのは、現実的ではなく、また好ましいことではないと考えました。
何回かの議論の末、有志による班活動という形によりプランの活性化を図って行こうということに落ち着き、昨年(1998)の暮れに、「かつごう会」という分科会を発足させました。会といってもまだ名ばかりで、これから体制作りをして行こうとしていたところに、若きOBとして今後の活躍が期待された平松君を失ってしまったのは、残念でなりません。
事故後の対応
(1)会としての対策
今回の事故はKBPとしては初めて経験する山での遭難死亡事故でした。
思いもよらない出来事に混乱し、その初動体制としては、我々はほとんど何もできませんでした。
しかし、OB会のメンバーであった平松君の事故を重く受け止め、緊急ミーティングを開いて、OB会として何ができるのかを話し合いました。まず、事故の原因究明のための事故調査委員会には積極的に参加しました。また、KBPのOB会としての緊急連絡体制等を含めて、組織的な見直しを図るためOB総会を開いて、体制作りを目指してゆくことにしました。
OB総会で話し合い、決定した主な項目は下記のとおりです。
◇OB会規約の制定について
OB総会に提出された「KBP?OB会規約(案)」を元に話し合われ、若干の修正を加え採択された。採択された規約の主な内容は、以下の通りである。
●会員資格はOB・OG全員、オープンにしておく。
●会の位置付けはOB・OG同士及び現役生との交流・親睦の場およびアウトドアプランの情報交換・参加者募集の場とし、会運営の基本方針は自己管理原則に基づく。
●会として在京連絡先の直接的な受け皿とはならないが、在京連絡先となった会員からの情報連絡ルートを整備しておき、遭難時等、緊急時の効果的な側面支援に努める。
●遭難時等の緊急対応はOB・OGの積極的な参画により行うが、具体的内容は独自での本人救助ではなく、適切な初動対応移行の円滑化、動揺・混乱している家族のフォローや情報の収集、捜索救助部隊との連絡窓口(必要に応じ支援)に重点を置く。
●会費は、原則一律とし、善意の支払いを継続して働きかけ、万が一、遭難対策等で不足した場合にはカンパにより、個別に徴収する。
●アウトドアフィールドの幅広さ・奥深さから、さまざまな「分科会」が会のメンバーを母体に開催できるものとするが、分科会の活動内容はOB定期総会にて報告し、OB会全体のオープン性との整合を保つこととする。
●OB会は通常サロン的な位置付けの会ではあるが、程度の差はあれアウトドア活動自体の持つ危険性を考慮し、相互研鑚等を通じアウトドアスキルや社会人としての適切なリスク判断の力量を日頃から高める努力を怠らないことを会員は心掛ける。
◇緊急対策のためのKBP連絡網の整備について
提出された「遭難対策マニュアル(案)」、および「KBP連絡網[平成11年度版](案)」を元に話し合われ、採択された。
基本的な内容は、先に採択された規約の内容に沿うものである。連絡網については、コアグループの体制や連絡先に変更があったときの対処は、細部を後日コアグループでつめることとなった。従来の連絡手段を補完するものとして、E-mailによるメーリングリストを運用することも決まった。
なお、OBとなっても継続してアウトドア活動に関っていくことが結果としてスキルやリスク判断の力量を高めることに繋がるとの認識から、アウトドア活動情報の共有化やイベントの企画など、OB会の体制整備以外に、休眠OBの活性化やその環境作りについても会として取り組んでいきたいと考えています。
(2)個人としての安全対策
上記のように会としての体制作りを進めることも、大切ですが、それ以上に個人としての安全対策をこの機会に見直すことがより重要であると考えます。というのは、実際にフィールド出た時に、頼りになるのは自分だけだからです。これは、何も単独行の場合に限ったことではありません。パーティーを組んでいる場合ですら、瞬間的な判断は個人にゆだねられるケースが多いと考えられるからです。決して、パーティーを否定するわけではありませんが、時と場合によっては、個人の危機に対してパーティーは無力です。いかに優秀なパーティーリーダーがいたとしても、パーティーメンバーの危機を回避し得ない場合があることは頭に入れておかなければなりません。したがって、リーダーに率いられる場合であっても、最低限の安全の確保は個人に帰する問題だという意識を明確に持つべきです。そこで、ここでは、個人としての安全対策を考えてみました。
会としての安全基準というものを定めるにしても、我々の活動はそのレベルのばらつきも、活動内容もあまりも広すぎます。山が活動の中心にあることは否めませんが、活動フィールドは、山とは限定できません。
あらゆる自然が活動対象の可能性と考えられるのに、山中心の価値観で基準をつくるのは、無理があります。また、誤解を恐れずにいえば、いわゆる安全性といわれるものも、見方によって変わってしまうものでもあります。
各自、経験も技術も体力も違うわけですから、一まとめにすること自体に無理があります。また、自然の中で行動する以上、借り物ではない自分なりの行動規準を確立する必要が絶対にあると考えます。今後のフィールドでの活動の中で、各自が身につけてゆく課題であると考えています。
このようなことを我々に考える機会を与えてくれた、今回の平松君の遭難事故を貴重な教訓として、今後実りある活動を続けてゆくことが、KBPのOB会にとって大切なことだと思います。