第3節:遭難事故内容

 

第3節−1 事故概要

  1999年3月20日に、遠見尾根から北尾根を経て五龍岳に向かった平松、石原の両名が、最終下山日の3月22日になっても下山してこなかった。
  3月21日から22日にかけて天候が大荒れであったため、多数のパーティーが下山予定日を過ぎても下山してこなかったが、翌23日は天候が良く、それらのパーティーが続続と下山してきていた。そのため、関係者による協議の結果、23日は県警のヘリによる捜索にとどめ、それでも下山しなければ捜索隊を編成して捜索するという方針になる。
  しかし、23日中に彼等は下山してこなかった。彼等が所属していた山岳会の関係者が捜索隊を編成し、3月24日に現地入りをしたが、同24日に長野県警のヘリによって、両名の遺体が五龍岳北西の餓鬼谷上部、両名の荷物が同主稜線上(ビバークしていたと思われる状態)にて発見された。
  富山側斜面で発見されたため、遺体の収容は富山県警によって行われた。
 

第3節−2 山行計画

対象

    北アルプス五竜岳(遠見尾根〜カクネ里・シラタケ沢出合〜北尾根〜五竜岳〜遠見尾根)
 
日時

    3月19日(金)〜3月22日(月)
 
メンバー
    CL 平松 守 25才 B型 男
      石原健哉 24才 B型 男 

行程
    3月19日(金)23:50新宿発急行アルプス
       20日(土)神城〜(テレキャビン)〜地蔵の頭〜大遠見山(C1)
     21日(日)C1〜カクネ里シラタケ沢出合〜北尾根〜適地(C2)
     22日(月)C2〜北尾根の頭〜五竜岳〜遠見尾根下降 

    最終下山日:3月22日(月)24時

装備
個人装備:毛下上下、カッターシャツ1、フリースズボン1、パンツ1、
     靴下2、雨具、登山靴、オーバー手、毛手2、インナー手2、
     目出帽、フリース、テントシューズ、コンパス、笛、ポリタン、
     シュラフ、シュラフカバー、マット、ザック、ヘッドランプ、
     SP電池&電球、ナイフ、ロールペーパー、ライター、
     個人用薬品、行動食3、靴紐SP、替靴下、着替え、筆記用具、
     現金、身分証明書、計画書、保険証コピー、ロングスパッツ、
     ピッケル、バイル、アイゼン、ワカン、サングラス、ゴーグル、
     ハーネス、地形図
共同装備:テントマット1、コッヘル、プリズムヘッド、カートリッジ小2、
     ローソク、刊紙、茶セット、ゴミ袋、酒、天気図、ラジオ、
     薬箱H、カメラ、タワシ、スコップ、ロープ45m1本、
     カラビナ、スリング、赤布、携帯電話、エアリア、裁縫セット、
     ガムテープ
 

第3節−3:遺体の発見場所と状況及び遺留品等の事実関係の確認

第3節−3−1 遺体の場所とその状況

平松

場所:
 G・Gのコルからは40m、ザックのあるところから距離で80m。傾斜25度程度で快適にキックステップで歩くことが出来た。最も風の強いところであったと思われる。

遺体の状況:
 上向き状態から上半身を右方向にひねり右を下にした横向き。顔が谷側、背中が頂上側。休んでいるような格好。遺体はかちかちに固かった(風の通り道で気温が低かった)
 遺体はG・Gのコルまで引き上げヘリでピックアップ。

装備:
 アイゼンあり。ピッケルなし。ハーネスなし。手袋を装備。首にコンパス、シュリンゲ、カラビナ4、5本をかけていた。クロロファイバー下着、薄手のフリースもしくはカッターシャツとヤッケ。フリースを着ていなかった。目出帽を被っており、その上に耳バンドを付けていた。目出帽はめくれあがっていた。背中のヤッケが少しめくりあがっていた。オーバーズボン左太股が破れていた。
 時計、カメラ、財布、計画書他。

石原

場所:
 G・Gのコルから290〜340m下、ザックのある所から330〜380m下。平松の遺体から距離で250〜300m下。滑落ルート上(平松の遺体の下部)が狭くなっていて、岩稜帯になっていた。ザックの置いてある場所をほぼ見通せる位置。また、五龍小屋からも見ることが出来た。

遺体の状況:
 頭を稜線方向に向けて、うつぶせ。両足を開いている。足が下。右手は握り拳で肘を曲げて顔の付近。左手は上方向に伸び、手のひら側が下。遺体は若干柔らかかった(陽のあたる温かい場所にあったため)。
 遺体はその場からヘリでピックアップ。

装備:
 アイゼンなし、ピッケルなし、ハーネスなし。素手。スパッツはつけていた。クロロファイバー下着、Tシャツ、オーロンセーター、フリース、ヤッケを着ていた(替え下着以外の全ての衣服)。頭部には何もつけていない。オーバースボン右腰に5cmほどのかぎ裂き。オーバーヤッケはほとど傷んでいない。
時計、眼鏡ほか

 
遺体発見場所と装備発見場所の位置関係
 
 

第3節−3−2 ザックの置いてあった場所


 
 
 


G2・G3のコルから頂上を望む。矢印は装備が発見された場所。
 
 
 


装備散乱場所から両名が発見されたルンゼを望む
 
 

第3節−3−3   死因 (監察医による)

平松:顔面、背中、左脇腹等に擦過傷あるものの、直接の死因となるようなものではない。鳥肌がたっていたことから、直接の死因は凍死であるものと思われる。
石原:右側頭部 3.5cm×1.5cmの傷(陥没。深さ不明)。頭部挫傷で即死と思われる。他、顔面擦過傷など。
 

第3節−3−4 死亡推定時刻 (監察医の考察による)

石原の煙草の残った量から、3月22日頃と思われる
 
 

第3節−3−5 回収した装備

<青ザック:石原>

◎ザックの外付け

エアマット(茶、くくりつけてあった):I


◎上ブタ・眼鏡ケース(白 中身はサングラス):I

◎上ブタのウラ ◎ザックの中


<紫ザック:平松>

ザックの外付け

@上ブタ 
  • のどぬーるスプレー  小林製薬 ビニール袋入り、引っ張ると取れる結び方:H
  • 赤布、切ったもの  ビニール袋、引っ張るととれる結び方:H
  • 空のビニール袋:H
  • サングラス(眼鏡につけるタイプ、SWANS):H
  • ビニール袋(電球×4 パックの上部 切断、電池):H
  • ザックの中身  どちらかのザックに衣類が入っていた(警察談)
     

    <ザックとは別>


    <1999年9月5日に石原の発見場所の100mほど上部で回収されたもの>
     

    アイゼン(左足用)カジタックス(赤色タイプ サイズ調整ネジは下から6つめに止められている、プレートなし、減り具合大、事故直後に回収された右足用に比べ、全体的に錆びが多い):I


    第3節−3−5 回収できなかった装備(?は実際に持って行ったかどうか不明な物)
     
     
    共同装備 平松 石原
    テント本体

    テントマット

    ガスカートリッジ小2

    週刊誌?

    茶セット?

    天気図用紙?

    たわし

    カラビナ(個数不明の為)

    スリング(個数不明の為)

    裁縫セット?

    食糧(全部)

    テントの袋?

    竹ペグ?

    雑巾?

    フリース

    ロールペーパー

    行動食

    靴紐スペア

    筆記用具

    ゴーグル?

    地形図

    シュラフの袋

    ピッケルカバー?

    コッヘル?

    オーバー手

    毛手

    替毛手

    インナー手

    替インナー手

    目出帽

    替靴下

    ゴーグル?

    テントシューズ

    ポリタン

    シュラフ

    ヘッドランプ

    ロールペーパー

    薬品

    行動食

    靴紐スペア

    着替え

    筆記用具

    地形図

    ザックカバー?

    アイゼン袋?

    ピッケルカバー?


     
     

    第3節−3−7   平松の時計の記録に関して

      事故当時、平松はカシオ製「プロトレック」(品番1406)という高度計付時計を付けていた。その時計には日時・高度・温度メモリー機能が付いていた。この記録は以下の通りである。

    日付    時刻    表示    標高    気温
    3月 6日 18:34  MIN     -60m    30.9℃
    3月20日 8:50           1545m    20.2℃
    3月20日 8:50   FIN    1545m   20.4℃
    3月22日 7:50   MAX  2985m   12.3℃
     

     このデータを基に、時計本体、気圧、温度による誤差を補正すると次の数値になる。

    3月20日 8:50の高度は、下限1296m、上限1696m
    3月22日 7:50の高度は、下限2533m、上限3065m
     

     このデータから推測されることは以下の点である。

    :3月20日の記録はテレキャビン終点駅付近で記録したものと思われる。
    理由:この記録の時刻と高度は、始発のテレキャビン(山麓駅8:30発)に乗って終点駅付近で測らなければ出ない数値である。また誤差上限である1696m地点までは始発に乗っても行きつけないことから、いずれにせよ1535m付近である可能性が高い。

    :22日の記録は山頂より高い地点はないので、上限は2814mである。また、誤差の下限の高度(2533m)を見る限り、北尾根の頭(2560m)付近、もしくは白岳(2541m)より上部の国境稜線上でで測ったものである可能性が高い。

    :3月22日7:50の時点で気温表示が零下になっていないことから、その時点では生存していた。

     
    <参考>時計の誤差値等の算出方法
     
     
     

    第3節−3−8  その他の情報