第10節:平松・石原両君の山行略歴

第10節−1−1:平松君の山行略歴
 
  期間 山域 形態 行程(*はリーダー)
1993 10/9-10/12 谷川連峰 縦走 谷川岳
11/6 奥多摩 縦走 .
11/20-11/21 . 縦走 黒姫山
11/24 奥多摩 縦走 中日原―鷹ノ巣山−奥多摩
1994 2/4-2/6 丹沢 縦走 焼山―蛭ケ岳―丹沢山―塔ノ岳―本谷山荘
2/17-2/19 奥秩父 雪山 十文字峠―三宝山―甲武信ケ岳
4/9-4/10 奥多摩 縦走 雲取山―鷹巣山
4/17-4/18 丹沢 ミツバチ山―日本杉峠―屏風岩山
4/23-4/24 丹沢 縦走 桧洞丸―蛭ケ岳―丹沢山―高畑山*
4/29-4/30 上越 雪山 巻機山
5/6-5/8 北八ヶ岳 縦走 ニュウ、茶臼山―横岳
5/13-15 奥秩父 和名倉山―将監峠―飛竜山*
5/21-5/22 南ア 縦走 入笠山
5/28-5/31 尾瀬 縦走 燧ケ岳―至仏山*
6/4-6/5 上越 縦走 八海山*
6/25-26 妙高連峰 縦走 妙高・火打山
7/3 奥多摩 日原川本流
7/22 奥多摩 縦走 川苔山*
7/25-7/30 南ア 縦走 鳳凰三山―甲斐駒―仙丈ケ岳*
8/17-8/19 四国 縦走 石鎚山―瓶ガ森*
8/20-8/24 四国 縦走 剣山*
9/2-13 南ア 縦走 光岳―聖岳―悪沢岳―三伏峠
9/13-9/24 南ア 縦走 三伏峠―北岳―仙丈ケ岳―甲斐駒―鳳凰三山
10/7-10/11 尾瀬 縦走 沢入―袈裟丸山―皇海山―三俣山―千手ガ浜*
12/29-12/31 南ア 雪山 鳳凰三山
1995 2/15-2/21 八ヶ岳 雪山 八ヶ岳西面集中
3/9-3/15 北ア 雪山 爺ガ岳東尾根―鹿島槍ヶ岳
4/8-4/9 御坂山塊 三つ峠ゲレンデ
4/15-4/16 奥秩父 丹波川小常木谷
4/23 奥多摩 日原川鷹ノ巣谷
4/29 丹沢 勘七ノ沢
5/3-5/6 北ア 春山 白馬岳主稜・杓子岳双子尾根
5/14 奥多摩 川苔谷・逆川
5/20-5/21 浅間山周辺 縦走 烏帽子岳―湯の丸峠
5/27 丹沢 水無川本谷
6/18 奥秩父 丹波川本流
6/23-6/25 南ア 縦走 ドンドコ沢―地蔵岳―夜叉神峠*
7/2 奥多摩 多摩川水根沢*
7/23-7/26 中央ア 縦走 越百山―南駒ケ岳―空木岳―駒ヶ根高原*
7/28-7/31 上越 奥只見大白沢・シロウ沢・鷲くら沢―平が岳
8/6-8/12 北ア 縦走 爺が岳―針の木峠―烏帽子岳*
8/21-8/23 南ア 寸又川栗代川・大井川明神谷
8/27-9/7 白神山地 赤石川・西の沢、ウズラ石沢
9/10-9/11 八幡平 八幡平・葛根田川大深沢北の又沢
9/16-9/22 和賀山塊 マンダの沢、八滝沢、辰巳又沢、朝日沢、大深沢北ノ沢
10/13-10/15 上越 縦走 駒ノ湯―越後駒ケ岳―中の岳―十字峡
11/2-11/6 北ア 雪山 白馬岳小蓮華尾根(敗退)*
11/17-11/19 奥秩父 縦走 瑞牆山荘―金峰山―国師岳―甲武信ケ岳―西沢渓谷*
11/25-11/27 北ア 雪山 霞沢岳西尾根*
12/24-1/1 北ア 雪山 横尾尾根―槍ヶ岳―大喰岳西尾根―新穂高温泉
1996 3/1-3/7 北ア 雪山 長塀尾根から蝶が岳・常念岳*
4/23 丹沢 葛葉川本谷*
5/3-5/4 奥秩父 縦走 白井差―両神山―東岳―西岳―坂本*
6/29-6/30 丹沢 小川谷廊下*
7/18-7/20 奥秩父 一ノ瀬川大常木谷
7/24-7/26 奥秩父 大洞川井戸沢―狼平―荒沢谷下降*
8/2-8/12 西表島 .
8/13-8/20 西表島 .
8/25-9/5 北ア 縦走 中崎尾根―裏銀座―後立山連峰―栂海新道―親不知*
9/18-9/21 奥秩父 入川本流―金山沢大荒川谷遡行―西破風山*
10/4-10/6 上越 湯桧曽川東黒沢白毛門沢遡行―宝川ウツボキ沢下降*
11/9 丹沢 谷太郎川鳥屋待沢右俣*
11/22-11/24 北ア 雪山 遠見尾根―五龍岳―唐松岳―八方尾根*
12/26-12/30 北ア 雪山 双子尾根―杓子岳―白馬岳―栂池*
1997 2/4-2/6 那須 雪山 大丸温泉―茶臼岳―朝日岳―三本槍ヶ岳―北温泉*
2/10-2/14 八ヶ岳 雪山 阿弥陀岳南稜―行者小屋定着、八ヶ岳西面集中*
2/16-2/20 八ヶ岳 雪山 赤岳天狗尾根―赤岳鉱泉定着、八ヶ岳西面集中*
2/28-3/12 西表島 ヒナイ沢遡行―イタヂキ川下降―浦内川下降―浦内川マリュード滝下左岸支流遡行―仲良川下降―仲良川大滝下左岸支流遡行―仲良川下降―仲間山―続く下降―大原*
3/27-3/29 北信 雪山 本院岳ダイレクト尾根―本院岳―八方睨―戸隠奥社*
9/6-9/7 . . 足尾松木沢、ウメコバ中央岩峰凹壁ルート、古賀志山
10/10-10/11 . . 越後駒ケ岳、佐梨川雪山沢敗退
11/12 南ア 縦走 甲斐駒ヶ岳―鋸岳*
11/26-11/24 北ア . 鹿島槍ヶ岳天狗尾根敗退
11/30 奥多摩 天狗岩
12/13 谷川連峰 . 谷川岳幕岩尾根中退
12/28-1/2 上越 雪山 越後三山
1998 1/10-1/11 上越 . 上越足拍子岳クロガネノ頭北尾根
1/25 奥多摩 . 越沢バットレス
1/31-2/1 八ヶ岳 . 赤岳南峰リッジ、中山尾根
2/14-2/15 八ヶ岳 . 旭岳東稜
3/14-3/15 北ア . 爺ケ岳冷尾根敗退
4/11-4/12 北ア . 鹿島槍ヶ岳天狗尾根
5/3-5/5 北ア . 鹿島槍ヶ岳北俣本谷
5/23 谷川連峰 . 一ノ倉沢烏帽子奥壁変形チムニー
5/24 谷川連峰 . 幽ノ沢 V字右ルート
6/27-28 奥多摩 . 救助訓練(鳩ノ巣)
11/8 奥多摩 . 越沢バットレス
11/21-11/23 御坂山塊他 . 三つ峠・富士山
12/20 八ヶ岳 . 阿弥陀岳広河原沢
12/29-1/1 北ア . 針ノ木岳西尾根敗退
1999 1/15 八ヶ岳 . ジョウゴ沢右俣F1
1/16 八ヶ岳 . ジョウゴ沢大滝
1/17 八ヶ岳 . 雪崩講習会

 

第10節−1−2:生前、平松君が書いた会報の挨拶文、山行記録等
 

『KAV会報 第5号 1993-1995年の記録』
はじめに
慶應義塾大学アルペン=フェライン山岳会1995年度代表(CL)平松 守(経済3年)
  このたび、1993~1995年度の活動内容を「KAV会報 第5号」としてご報告する運びとなりました。93年度及び94年度に関しましては発行がかなり遅れてしまいましたが、本年度と合わせまして3年分の活動記録として発行することができました。会報を定期的に発行するという伝統(といってもまだ5号であるが)を伝えていくうえでは大変意義のあることだと思います。
  さて、本年度は例年になく新人が多数加わり、年間を通じてオールラウンドに活動することができました。前期は岳朋会と協力して東京近郊の沢登りを中心に活動して経験を積み、夏休みに2度の沢合宿を行いました。また、新たに加わった新人には、3度の夏山縦走合宿及び秋山で縦走を中心に活動してもらい、登山の基礎から学んでもらいました。そして、例年通り冬山偵察及び雪上訓練を、今年は新人の冬山志願者2人を迎えて実施することができました。そして、今年の総決算として年末年始に岳朋会と協力して冬合宿を行い、北ア・横尾尾根隊、南ア・塩見岳隊の2隊を結成し、ともに登頂を成功させることができました。
  本号では、前号までの伝統を受け継ぎ、OB諸兄に執筆をお願いしました。会報によって現役の活動を記録して残すだけでなく、OB諸兄の活動や考え方等を記録して後代に伝えていくことも重要なことだと思います。また、この会報が、普段はあまりお会いできる機会が少ないOB諸兄と現役との絆となり、これまで以上に密接にかかわっていただけるようになってくだされば幸いです。今回は、川島OB(昭53年卒)、岩本OB(平3年卒)にお願いしました。
  本年度におきましては、今年度に引き続きまして平松が代表を務め、岳朋会と協力して沢・縦走・冬山を中心に後輩の指導にあたり、ますますKAVの活動を活発にさせていくつもりですので、今後とも慶應義塾アルペン=フェライン山岳会及び「KAV会報」をよろしくお願い致します。
また、今年度の活動を事故もなく無事に行えることができましたのも、OB諸兄の御尽力の賜物と思っております。特に岩本OBには、お忙しい中、たびたび山行に御助言を頂き、また川原OBには、会報発行の際にお力をお貸し頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。
1996年2月
 

『KAV会報 第6号  1996年の記録』
はじめに

慶應義塾大学アルペン=フェライン山岳会1996年度代表(CL)平松 守(経済4年)
  このたび、1996年度の活動内容を「KAV会報 第6号としてご報告する運びとなりました。昨年度に続き2年連続で会報を発行できたことは、会の活動の活発さと会員の士気の高さを反映しているに他なりません。良き伝統を後輩達に末永く受け継いでいってもらいたい、と考えています。
  さて、本年度は昨年度以上にすばらしい新人を多数迎えることができました。さらに、年間の活動を振り返ってみても、夏山縦走・沢登り・冬山のいづれの分野においても、まさに充実した活動を行うことができました。特に、年度初めにチーフリーダーとしてかかげていた(らしい)会の2つの目標:冬の集中合宿と沢の連続遡下降形式による合宿を、12月の冬合宿・白馬岳集中、3月の沢合宿・西表島連続遡下降という形で、駆け込みではあったものの実現できたことは、至上の喜びです。年間を通してのオールラウンドな活動という点では、慶應随一の山の会と言っても過言ではない、と自負しています。優秀な後輩とすばらしい同僚に恵まれたことを感謝している次第です。
しかし、わがアルペン=フェライン山岳会も。直面している課題がまだまだ山積しています。アルパイン・クライミングの復活、沢のリーダー層の育成、安全対策の徹底と明文化などであり、“学生らしい山岳会”をモットーに、次年度以降、後輩達には引き続き取り組んでいって貰いたい、と考えています。
  今、学生の山岳界(そんな世界があるのかな?)は、日本の金融システムに匹敵するかそれ以上の変革期を迎えています。その厳しい変革の波に適合しうる船を、この2年間で構築してきました。それは、“学生の・学生による・学生のための山岳会”。そして、現役の力で自費出版できたこの会報はこうした流れを後押しし、正しい方向に導いてくれる確固たる羅針盤となってくれるものと信じています。
  最後になりましたが、山行の度にご助言を頂き、お力をお貸し頂きました部長の小松光彦文学部教授と岳酔会現役担当幹事の河村二郎氏には、この場を借りてお礼申し上げます。
1997年3月末日
 

慶應義塾大学バックパッキングクラブ機関誌「KBP・PRESS」Vol.16
OB山行  黒姫山

経済学部1年 平松守
期間:11月19日(金)-11月21日(日)
メンバー:CL北浜昌司、SL野元政男、福田道生、田中俊一(以上OB) 青山弘和(以上4年)、稲江健、平松守(以上1年)
コース:黒姫駅…(東登山道)…七曲り…黒姫山…(西登山道)…峰の大池…大ダルミ(C1)…大橋…戸隠中社

<はじめに>
  三田祭期間中の休みを利用して、OBの方々と黒姫山に行ってきた。雪山の基本技術の習得を目的とし、かつ、時季的にも冬山の装備が必要とのことで、OBの吉田サンからピッケルを、北浜サンからヤッケをお借りして、この山行に備えた。しかし、実際に行ってみたら雪など全くなく、これらは無用の長物と化してしまったことを記しておこう。これ以外にも予想外の事態は頻発した。出発1週間前に北浜サンの御自宅で勉強会を行ったが、田中サンは体調を崩されて欠席、青山サンは約束の時間に5時間遅れてやってきた。(北浜サンは過去に12時間遅れというのをやったことがあるらしいが。)これでは先が思いやられる、と心を痛めていたら、案の定、出発の日の夜の急行「妙高」に、OB会テントを持ってくるはずの田中サンが乗り遅れてしまう、という大波乱も発生。一時は「田中サンOB会クビ」説、「E-5、6人使用」説も急浮上したが、大事には至らなかったのは不幸中の幸いであった。

<11月20日(土)>
  朝5:35黒姫駅到着。大阪からはるばるやって来た野元サンと合流し、駅の伝言板に田中サンヘのメモと「クビ」という文字を残し、出発。我々6人を歓迎するかのように太陽が顔を出す。単調なアプローチを30-40分歩き、西登山道の入口に着く。既に怪しくなっている雲行きとは対照的に、先頭を歩く青山サンのペースは軽快、というよりも鬼のように速い。登りになっても、そのペースは衰えを知らない。何とか遅れないようにしよう、と必死にくらいつく自分であった。(ここで無理をし過ぎて、下りの時まで体力が持たなかった、という説もあるらしい。ただ単に自分の体力が足りなかった、という説の方が有力だと思うが。)七曲りを過ぎ、上っていくにつれ、だんだん雲が厚くなってき、とうとう雨の&あられが降ってきた。頭上の心配だけでなく、足の不安も発生した。どうやら足のかかとに靴擦れができたらしい。しっかりテーピングを巻いておいたのだが。相変わらずきつい上りが続く。稲江クンが「1日で1600mUPって結構きつい方だよ」と励ましてくれた。まもなく稜線に出た。辺り一面が樹氷の白一色の世界にかわった。はるばる上ってきてよかったなあ、と思った。黒姫山頂上に着いた。視界は全くナシ。「あれが妙高だ」と何も見えないはずの北方を指さして慰め合う。ほとんど休憩を取らずに下山開始。峰の大池を右に見ながら西登山道を下山。途中で、どこかで見たことのある人物と遭遇した。田中サンであった。彼は昨晩の急行「妙高」に乗り遅れ、東京のビジネスホテル(カプセルホテル?)に泊り、朝一番の特急に乗り、駅からタクシーまで使って、逆まわり(大橋経由)でここまで来たそうだ。いやはや、多大な出費、ご苦労さまでした。岩がゴロゴロしていて非常に道の状態の悪い西登山道で自分は何度もコケてしまい、青山サンや福田サンに助けられながらも何とか今日のテン場である大ダルミに夕方5:00頃到着。しかし、波乱はまだ続く。このテン場は実は近くに水場がない。ポリタンの水は行動中にほとんど飲んでしまった。「雪をとかして水を確保しよう」という当初の目論見も崩れ去った現在、我々に残されている水は池塘の水をおいて他にはなかった。うれしそうな顔をして池塘の水を汲みに行くOBの方々には、別の意味でいい経験をさせてもらった、とつくづく思う今日このごろである。さて、OB会テントでの談笑を横で聞きながら、現役テントでは今日の晩メシとなる特製「池塘水炊き」をコッヘル2つで調理中。ほとんどできあがったなあ、と思った時、青山サンの一瞬の油断を突いてコッヘル1つがコンロの上から落ち、熱湯に近い汁は自分の左ひざを直撃、中の豆腐はテントマットの上に散乱した。急いで豆腐をコッヘルに戻した。「こぼしたほうのコッヘルはOB用」という、現役3人の意見は奇妙にも(当然?)一致した。程なく、OBの方々を現役テントに招き、楽しい食事が始まった。池塘水&一度こぼして拾った、という経緯のある水炊きを「もう腹がいっぱいだ」と言ってあまり食ようとしない青山サンとは対照的に「うまい、うまい」といいながら食べまくる野本サンの顔は、今でも忘れることはできない。

<11月21日>
  朝3時ころ起床。モーニングコーヒーを飲む。5:00ころから朝メシを調理し始める。今日の朝メシは、昨晩の水炊きの残り汁で作ったうどんである。テントを撤収して、7:00ころ出発。今日は下り3時間弱の楽な行程。林道に出た所でrestをとる。野本サンと田中サンがポリタンに入れた池塘水を「うまい」と言いながら生で飲んでいた。彼等は「池塘愛好会」なる怪しげな組織を結成していた。途中で車道歩きになり、10時ごろ戸隠中社に着く。バス停の近くのそば屋で打ち上げとなった。バスに1時間ゆられて、長野駅に昼過ぎごろ到着。ここでパーティーは温泉組と金沢組に分かれた。温泉組はOB4人と稲江クンで、上山田温泉行った(らしい)。自分と青山サンは、金沢の羽田サンの家を訪問すべく、信越本線と北陸本線を乗り継いで金沢に向かった。金沢は遠かった。その夜は、羽田サンのおごりで日本海の魚を食べ、金沢の地酒を飲み、有意義な時を過ごした。

<おわりに>
  翌日は、自分と羽田サンと青山サンの3人で金沢見物をした。夕方、日本海の夕日を見に行こう、と内灘海岸へ行ったが、太陽は厚い雲の中であった。しかし、日本海を初めて見る自分にとってはそれで十分であった。
  今回のOB山行では、その準備段階からOBの方々におごられっ放しで、感謝の念に絶えません。また、装備を貸していただいた多くの方々にもこの場を借りてお礼申し上げる次第であります。また機会があったらOBの方々と山に登りたい、と思います。今度は、吉田サンから正しいロープの越え方を学びたい、と思っています(これは冗談ですが)。


 
 

第10節−2−1:石原君の山行略歴

 
  期間 山域 形態 行程(*はリーダー)
1994 5/22 丹沢 葛葉川本谷*
6/4-6/5 奥秩父 小室川谷*
6/11 丹沢 勘七ノ沢*
6/18 奥秩父 丹波川本流*
7/17 奥多摩 水根沢谷*
7/31-8/3 奥秩父 小川山
8/16-8/17 南ア 北岳バットレス
8/27-8/29 北ア 信濃俣河内・易老沢
10/8-10/10 奥秩父 笛吹川・釜ノ沢*
11/3-11/6 北ア 雪山 横尾尾根―槍ヶ岳*
11/19-11/21 北ア 雪山 爺ガ岳東尾根―鹿島槍ヶ岳*
12/23-12/25 北ア 雪山 八方尾根―唐松岳
1995 1/6 伊豆 城ケ崎
2/16-2/20 八ヶ岳 八ヶ岳西面集中*
3/10-3/13 北ア 雪山 爺ガ岳東尾根―鹿島槍ヶ岳*
3/30-3/31 北信 雪山 雨飾山南尾根*
4/8-4/9 御坂山塊 三つ峠
4/15-4/16 奥秩父 丹波川小常木谷*
4/23 奥秩父 日原川鷹ノ巣谷*
5/3-5/6 北ア 春山 白馬岳主稜・杓子岳双子尾根*
5/14 奥多摩 川苔谷・逆川*
5/20 奥秩父 両神山・金山沢右俣*
5/27-5/28 奥秩父 滝川豆焼沢*
6/18 奥秩父 丹波川本流*
7/2 奥多摩 多摩川水根沢谷
7/23-7/24 奥秩父 小川山
7/28-7/31 上越 奥只見川大白沢・シロウ沢・鷲くら沢―平が岳*
8/8-8/17 北海道・東北 縦走 利尻・大雪(旭岳―トムラウシ)、八甲田連峰、岩手山、蔵王連峰*
8/21-8/23 南ア 寸又川栗代川・大井川明神谷*
9/1-9/2 奥秩父 大洞川和名倉沢・市ノ沢*
9/20-9/21 八ヶ岳 縦走 南八ヶ岳*
10/21-11/5 米ヨセミテ ヨセミテ Nutcracker(5.8 5P)

Cookie Cliff Outer Limits(5.10c)

Camp4 Midnight Lightning(B2 R/X)

11/25-11/27 北ア 雪山 霞沢岳西尾根―霞沢岳
12/24-1/1 北ア 雪山 横尾尾根―槍ヶ岳―大喰岳西尾根―新穂高温泉*
3/1-3/7 北ア 雪山 長塀尾根―蝶ケ岳・常念岳
4/23 丹沢 葛葉川本谷
4/27-4/29 奥多摩 日原川唐松谷・大雲取谷*
5/4 奥秩父 小川谷犬麦谷*
5/26 奥多摩 多摩川水根沢*
6/22-6/23 奥秩父 中津川大若谷*
6/29-6/30 丹沢 小川谷廊下
7/13-7/14 奥秩父 小川山
7/23-7/28 大峰 蘆廼瀬川本流・黒蔵谷
8/3-8/6 奥秩父 小川山
8/8-9/10 米ヨセミテ ヨセミテワシントンコラム-プラウ(A2

リーディングタワー−ウエストフェース(A3

エル・キャピタン‐ゾディアック(A3+

10/14-10/15 上越 登川米子沢―巻機山
10/26-10/27 奥秩父 瑞牆山十一面末端壁
11/2-11/4 北ア 雪山 栂池―小蓮華山―白馬岳
11/22-11/24 北ア 雪山 遠見尾根―五龍岳―唐松岳―八方尾根
12/26-12/30 北ア 雪山 双子尾根―杓子岳―白馬岳―栂池
1997

 

3/8 上越 雪山 谷川岳一ノ倉沢南稜
3/15-3/20 南ア 雪山 鋸岳―甲斐駒*
3/27-3/29 北信 雪山 本院岳ダイレクト尾根―本院岳―八方睨―戸隠奥社*
8/3 上越 谷川岳一ノ倉沢3ルンゼ
8/9-8/14 北ア 剣岳池ノ谷ゴルジュ敗退、剣尾根、チンネ左稜線、北条新村ルート
9/6-9/7 . 足尾松木沢、ウメコバ中央岩峰凹壁ルート古賀志山
9/20-9/21 奥秩父 瑞牆、カサメリ、十一面末端壁調和の幻想
12/31-1/2 北ア 雪山 涸沢岳西尾根―奥穂―北穂*
8/中旬 皇海山 泙川三俣沢・大岩沢―ス沢下降*
12/下旬 北ア 雪山 八方尾根山スキー*

他、多数あり。
 
 

第10節−2−2:生前、石原君が書いた山行記録
 

『KAV会報 第5号 1993-1995年の記録』
北アルプス・槍ヶ岳・横尾尾根
1995/12/24(日)〜1996/1/1(月)
メンバー:CL石原(経済3年) SL加賀美(法律3年) 平松(経済3年)

12月24日(日) 吹雪
タイム:坂巻温泉6:20−上高地8:45−徳沢11:25〜11:55−横尾15:30
  運良くタクシーが坂巻温泉まで入ってくれたので、まだ暗い中林道歩きを開始。途中の釜トンネルではすんなりと通過できずアイゼン着用。つららが恐ろしい。しかしそれ以外は特に面倒なこともなく上高地に到着。いつものつまらない梓川街道を黙々と進むが重荷のために体がだるい。徳沢まではしっかりしたトレースもそこから先は消えてしまいワカンのお世話になる。しばらく歩いていくと先行パーティーがいるのを発見するが、彼らは夏道から離れて川岸を歩いていく。自分達でラッセルするよりはと思いしぶしぶ後から付いて行くがどうもルートファインディングが
当てにならない。そのうえかなり苦しんでいる様子なので覚悟を決めて先頭に出る。そこから横尾までは我々三人でラッセルを続け、横尾に着いた頃にはかなりまいっていた。横尾の冬季小屋は広いうえに水が湧き出ているので非常にあり難い。

12月25日(月) 吹雪
  降雪量は大したことはないのだが、昨日から降り続いている雪のために3のガリーを登るかどうか決断できないまま偵察と称して出発。しかし横尾の小屋を出ていくらも行かないうちに弱気ムシが頭をもたげはじめ、尾根のほぼ末端部から登ることにする。偵察がいつのまにラッセル工作にかわってしまったが、このようなリーダーの弱気な判断に文句をつける者もなく尾根に取り付く。赤布がありすぎてうっとうしいような尾根である。1994mピークのすぐ近くまでルートをのばし横尾へ。

12月26日(火) 曇ときどき雪
タイム:横尾7:20−P1 10:00−P2 11:50−2・3のコル12:30−P3 15:30
  前日つけたトレースはまあまあ残っていてP1まではかなりいいペースで進む。しかしトレースが消えてしまうと悲惨である。じわじわと進みP2へ。P2からは急斜面の下りで木につかまりながらコルへ下る。2・3のコルから見る2のガリーは大きなすべり台のようだ。コルからは雪壁をフィックスを掘り出しながら登る。ルートはだんだんとシビアになりはじめ、5mほどの出だしがかぶった一枚岩に行く手を遮られる。これを苦労して通過するとナイフエッジが2ピッチ続く。いったん吹きだまり状の所に出るとすぐにP3に出る。P3付近は槍沢側に小さな雪庇が出ていて、私は危うく踏み抜きそうになったので注意が必要。

12月27日(水) 曇ときどき晴れ
タイム:P3 7:00−3・4のコル 10:30−P4 15:45
  P3から見上げるP4は圧倒的迫力で、樹林に覆われてはいるものの厳しそうに見える。地図を見ていると3・4のコルまでは割合楽に行けるのではないかと思われるのだが大まちがい。しばらく下ると両側がスパッと切れたナイフエッジとなり、アンザイレンするが緊張する。40mくらいの岩稜だが、雪が不安定なので慎重に足を運ぶ。途中で馬乗りになったりもするが要所でプロテクションがとれる。そこを越えてしばらく行くと急な岩稜の下りが現れ、ここも悪い。フィックスとピトンを掘り出すことができるが重労働だ。45mいっぱい。ロープを解いて少し進めばコルにでる
が、期待していた3のガリーからのトレースはなくがっかり。コルからさきはフィックスの掘り出しにひたすら時間がかかる。最初はクーロアール状を登り、そこからしばらく尾根となる。す根をつかみながら登る。小ピークに立ちごちゃごちゃを50mほど登れば待望のP4は近い。P4は陣営するには最高で、穂高や屏風岩の眺めがそれに花をそえている。結局この日はフィックスの掘り出しに終始してしまった。

12月28日(木) 快晴
タイム:P4 7:30−P5 9:25−横尾の歯取付10:05〜10:35−終了13:35−P8 15:05
  朝起きてテントから顔を出すと快晴なので気合が入る。P4からしばらくは樹林の中の歩きだが、P5が近づいてくるにつれてクラストした場所が多くなる。非対称山稜のP5を登りきれば森林限界だ。歩きやすきなった広い尾根をルンルンと進めばあっという間に横尾の歯である。まずはオードブルの雪稜を1ピッチこなしてメインディッシュに突入する。ここもP3の通過に似ていて不安定な雪のついた極細のナイフエッジとフィックスの掘り出しばかりである。45mいっぱいで何とか腰をおろせる場所を見つけてビレイ。2ピッチ目は最初の5mほどの下りがいやらしいが、それ以外はひたすらピッケルを振りまわし続ける。こちらもいっぱいで終了し、横尾の歯を終える。横尾尾根も残すところわずかだがP7とP8のギャップは風も強いので気が抜けない。横尾本側はまるでアリ地獄のような斜面でなぜかシリセードで下ってみたい…と思ってしまった。P8手前の尾根を少しはずれたところをキャンプサイトにする。

12月29日(金) 吹雪
タイム:P8 7:30−天狗原7:40
  予想外に早く天気が崩れてしまい行くか行かぬか迷う。とりあえず出発の用意を整え、P8に上がって様子を見る。完全にホワイトアウトしており風も強い。冬季小屋に入りたい一心で無理を承知で進むが敢えなく天狗原で挫折。テントを立てて一時待機するが結局そのまま沈してしまった。

12月30日(土) 吹雪
  相変わらず天気は悪く外はドカ雪で、除雪がダルイ。トランプにも飽き始めラジオで時間をつぶす。雰囲気は非常に悪い。みんな何を考えているのだろうか。ちなみに私の頭の中には南岳の冬季小屋のイメージしかなかった。そうこうするうちに雪はやみラッキーと思っていたのもつかの間で、槍のほうから強風が吹き始める。テントの角を押さえていないとテントが持ち上がるぐらいの強風だ。平ヶ岳の大白沢以来のピンチに全員のテンションが一気に高まる。飯を食うのも一苦労で、てっとり早いジフィーズとレーションを食いかなり変則的な体勢で一同シュラフにもぐり
こむ。

12月31日(日) 快晴
タイム:天狗原8:40−稜線12:00−中岳12:45−槍の肩13:55−頂上ピストン−槍の肩15:10
  悪夢のような夜がすぎるとドピーカンとなる。よくテントがつぶれなかったものだと感心する。ずいぶん積もった雪もほとんど飛ばされて歩きやすそうである。最初は軽いラッセルだが、しだいに傾斜が強くなり露岩が現れる。大きな岩を回りこもうと急斜面の雪壁にルートをとるが、先頭の平松が転倒。2番手の加賀美をまきこんで数メートルで止まる。私が数日前に誘惑に駆られた横尾谷のシリセードにあやうくなりかけたのに惜しかった…でなく、止まって本当に良かった。結局そこは岩を直登する。しばらく歩くとまた岩が現れる。先ほどの轍を踏まないために最初から
ロープを結ぶ。しょうこりもなくまた巻こうと試みるが、雪が不安定でステップがぼろぼろと崩れてしまいとても恐い。しかたなく岩登りコースをとる。岩を越えて上を見上げるとナイフエッジと雪壁になっている。その距離は約100m。1ピッチ目は主にナイフエッジで岩角からセルフをとる。次は完全な雪壁で、ここは工事現場の作業員よろしくひたすらピッケルをふるってクサリを発掘する。雪をぼこぼこ掘り返すとなま暖かい空気がたまった空洞が出てくる。このような場所では力まかせに登っていくと踏み抜いて転ぶ可能性がある。肩が重くなるぐらい発掘作業を続ければ雪壁も終わる。この上からは傾斜も落ちてすぐに稜線に飛び出す。風は弱く、他の登山者なども現れ心がなごむ。ここから肩の小屋までは高速道路で、待望の小屋にはいる。小屋にスペースを確保してから穂先をピストン。3180mの頂上は感動!かと思ったがその時北鎌をつぎつぎと登ってくるパーティーを見て少しいじけてしまった。それでもやはり槍の頂上であることは変わりなく嬉しいのではあるが、今度来るときはこっちのほうから来たいなぁと長々と続く北鎌尾根を見ながら思ったのは私だけであろうか?喜び合う北鎌パーティーよりも先に下り始める。小屋は大混雑となっており、板敷きの上に上がれず便所の前に陣取る人もいるほどだった。ついに年越しそばを山で食うことになってしまった。

1月1日(月) 晴れ
タイム:肩の小屋13:15−槍平15:10−新穂高温泉18:15
  朝起きて「明けましておめでとう」を言い、豪勢な雑煮を食べる。天気はよいが風が強くしばらく小屋の中で様子を見る。しびれを切らして外に出てみるが、あまりの風の強さに撃退される。昼過ぎまで待機して風が弱くなったと見て取り行動開始。大喰岳までは風のため息が苦しいがしばらく西尾根を下れば楽になる。シリセードをまじえて下り槍平に着いた頃には遅い時間であったが、みんなの今日中の下山の意思が強いので懐電行動覚悟で下る。惰性で下っていくと案の定、穂高平あたりで暗くなる。早く温泉に入って温かい所で寝たかったが、新穂高ではどちらの願望も満たされなかった。

<総括>
  去年の冬、横尾尾根を計画し偵察までしていたが、様々な事情により結局は横尾尾根をあきらめ私としては非常に悔しい思いをした。一年越しで実現したこの山行は非常に充実し、というより結構手ごわく、それだけにとても満足している。多少の反省も含めてこの山行をふりかえってみたい。
  まず苦労させられた要因として3つほど考えられる。1、尾根末端から取り付いたこと。2、トレースがなかったこと。3、天気をうまく予想できなかったこと。
  1に関して言うと、もし3のガリーを登ったならP3の悪い登下降を省略できるということである。また体力的にもかなり楽になる。P3の通過は横尾の歯に比べても技術的には同程度だと思う。あるいはピッチ数が多いだけこちらのほうがやっかいだ。
  2は何よりもフィックスの掘り出しが大変だということ。ただのラッセルなら疲れるだけですむがフィックスの発掘は精神的に疲れる。特にP4の登りは予想外に時間がかかった。
  3、は冬の穂高に入ったのは今回が始めてだったのでしょうもないかもしれないが、西高東低でも晴れるか雪かよくわからなかった。また突然の低気圧の発生が全く予想できなかった。これはこの山域である程度経験を積むことと、高層天気図を理解することでそこそこカバーできるだろう。また横尾での停滞は失敗だった。ここで動いていればかなり楽をできたであろうと思う。
  以上のことから言えるのは、確実な判断を下すことができ、不安定な雪の処理を恐れずにできる人間がパーティーに一人はいること。各人が晴天の時に一気に動く体力を持っていること。このような条件を満たしていれば横尾尾根を安全に楽しむことができるだろう。それとロープは45m以上のものを用意したほうが楽だと思う。
  いずれにせよ横尾尾根は変化に富んでいてなかなかの好ルートだと感じた。後輩諸君が再びこの尾根をトレースしてくれることを願う。

(経済3年  石原 健哉)